2020年7月17日
本の読み方にもいろいろあります。ここでは私が選択的に採用している4種類の読み方を紹介します。
ひとつめは、感化されて読む方法です。著者の言うことを丸呑みして、「なるほど、そうなのか」と納得しながら読むのです。これは子どもが本を読むときに多い読み方ですが、大人だってこれをやっていいのです。いちいち感心して、「すごいことを学んだ」と感動しながら読むのです。
そんなことは習わなくてもできます。小説を読むときは小説の世界に没頭して、それが作り話であることすら忘れて、まるで目の前に主人公たちがいるかのようにして読みます。あるいは感情移入して、自分が主人公であるかのような気持ちで読みます。読書体験が、あたかも映画を見ているような体験になることすら珍しくありません。読書好きな人に多い読み方です。
二つめは情報収集の読み方です。ガイドブックを読むときはこれです。自分が必要とする情報を探しに行きます。目次を見て、目当ての章やページをめくります。あるいは全体をパラパラめくりながらめぼしい情報を見つけます。
仕事や趣味でリサーチをするときには情報収集の読み方を採用します。本を一ページ目から読む必要はありません。それどころか本を一冊全部読む必要もありません。つまんで読んだらいいのです。必要なページをちぎって残りを捨ててもいいのです(ひとから借りた本のときは駄目ですよ)。本は実用品でしかなく、使い捨てでも構いません。
三つめは、著者と議論しながら読む方法です。いちいちツッコミを入れながら読むのです。「本当にそうなのか」「証拠はあるのか」「矛盾していないか」「この著者は信用できるのか」「昔の著書では違うことを言っていたはずだ」などと遠慮会釈なしに批判しながら読みます。当然あちこちに書き込みをしながら読みます。
この読み方は本を題材にして自分の考察を深めるときに向いています。極端な話、著者が間違ったことを主張していてもいいのです。私がときどきいわゆるトンデモ本を読んでいることに驚く人がいます。「トンデモ本」の多くは優れた情報を含んでいることがあり、情報収集に向いていることもありますが、それ以上に著者の極論が非常にいい刺激になることが多いのです。読み終えたときに「いい論争だった」と言って読み終え、著者とは同じ見解にならなくていいのです。
最後に、私が最も気に入っていて日常的に採用している読み方は、対話的創造です。
これは一見、著者と議論して読む方法に似ています。そして反面、著者に感化されながら読むのとも似ています。この方法では、議論と共感を並行して行うのです。
著者の考えをいちいち批判しながら読んでしまうと、その全体像を把握する前に読み終えてしまい、「この著者とは意見が合わない」「この著者の言い分は間違っている」と中途半端な理解で終わってしまうことがあります。特に著者のメッセージが革新的であったり異端であったりする場合は尚更です。
一方、著者の考えを鵜呑みにして感化されたまま読書を終えると、洗脳されたことに気づかないことがあります。自分の考えは深まらず、ただ著者の見解を請け売りすることになってしまいかねません。純然たる娯楽ならそれでもいいのですが、歴史や文化や思想や哲学について洗脳されたままでは非常に困ります。
対話的創造は、単なる批判ではなく、一方的な感化でもない、昔ながらの熟読の方法です。一気に速読したりなどせず、立ち止まって自分で思索したり瞑想したりします。あるいは全体像を把握するために一度目は速読したとしても、必ず時間をかけて再読します。
対話的創造に耐える良書はたくさんあります。どんな本でもいいというわけにはいきません。くだらない本を熟読するのは時間の無駄です。ちゃんと探せば古典の中にたくさんの良書がありますし、ごく稀に現代書の中にもあります。ときどきそういう優れた書物を取り上げて読書会を開いています。
もし良い本に出会ったと思ったら、他の3つの読み方ではなく、対話的創造をもたらす精読を選ぶようにしているのです。それこそが読書の本当の醍醐味だと思っています。本を情報収集や娯楽だけ、あるいは批判のためだけに読むのではあまりにももったいない。優れた著者を自分の書斎に招き入れ、著者の声を聞きながら自分も言いたいことを言い、大いに対話して新たな知恵を生み出していく。これに優る知的な楽しみはなかなか他にないものです。