「この世界は一体どういう存在なのか」
「どうやってこの世界を知ることができるのか」
「この世界を人はどのように生きたらいいのか」
「人が生きるためにはどんな社会が望ましいのか」

こうした問いに根本から答えようとするのが哲学の探求である。

私は学生時代に哲学思想に強い関心を持ち始め、古今東西のさまざまな哲学者の思想に触れつつ、多くの人たちと対話しながら生きるための実践的な方法を模索していた。

そして二十代後半にアメリカ在住中に発見したのが、二十世紀の思想家アイン・ランドの哲学だ。

アイン・ランドの哲学オブジェクティビズム(客観主義)は、当時私が抱いていたあらゆる哲学的疑問に明快に答えてくれた。

私はアイン・ランドの革新的な発見に衝撃を受け、その後四半世紀をかけてオブジェクティビズムの原則を自分自身で検証し、現実の意思決定に活用することにした。

検証には長い時間がかかった。アイン・ランドの著書を片っ端から読み、録音された講義を聴き、関連する論文や書籍を参照して自分の頭で考え、理解したことを実際の生活や仕事や人間関係に繁栄し、試行錯誤を繰り返して理解を実証してきた。

私の理解の全体像を簡単にまとめると次のようになる。

「この世界は夢や幻想などではなく、客観的な現実として存在する」
「この世界の存在を人間は五感で知覚し、理性によって理解する能力がある」
「人は現実世界で生きるために自由な選択をし、価値を実現して幸福を達成する」
「個人の自由な選択を完全に尊重する社会が望ましい」

こうして言葉にすると当たり前のことばかりかと思えるかもしれない。しかし東西の哲学思想の大半はこれとは正反対のものだ。

例を挙げてみよう。

「客観的な現実などこの世に存在しない。世界は言葉で記述された書物のようなものだ」
「人間が現実を知る能力は極めて限定されており、世界そのものを知ることなど望めない」
「人は自分のために生きるのではない。他人のために奉仕することが人間の義務である」
「人間は愚かなもので、個人の自由な選択を許したりしたら社会は崩壊する」

私が知的好奇心にあかせて読破した思想書の多くがこのようなイデオロギーを難しい言葉で記したものだった。

何千時間もの読書が無駄だったとは思わない。物を考える訓練として思想書や哲学書は役に立つことがある。しかし従来の大半の哲学の結論は間違っていたということが今となって理解できる。

アイン・ランドの哲学においてとりわけ重要なのは、人は個人として自分の存在のためにさまざまな選択をし、自分の人生を謳歌するために生きるべきだ、という倫理的利己主義だ。