去年から続いていた左腿裏の不調(炎症)をきっかけにして多くの方々の助言や指導をもらうことになった。実にありがたい限りである。

不調をきっかけにして好調を生み出す。問題解決ではなく創造プロセスにする。そのときに自分ひとりでやろうとせずに識者や専門家の知恵や力を借りること。これが鉄則だと思った。

もう治療の域を超えて、訓練の域に入っている。

トレーナーによる訓練は、ときに、非常に厳しい。自分ひとりでは決して踏み込まないレベルだ。

自分で書籍を買い込んで自分でトレーニングしたりすることもある。それはそれで悪くない。しかしトレーナーの指導や客観的な診断を受けることによる利益は計り知れない。

第一、やるべきことがわかっていたとしても(まずわかっていないことが多いのではあるが、仮に分かっていたとしても)自分だけで実行するのは本当に難しい。

簡単な動作や姿勢の連続なのに汗ばむほどきつい。あるいは簡単すぎて手応えがないのでどのくらい継続したらいいのかわかりにくい。

トレーナーが体の状態を見て具体的な指示をしてくれるおかげで信頼のおけるトレーニングに打ち込むことができる。

これは武術稽古にも当てはまる。

ある一定のレベルを越えれば、武術稽古はひとりでもできるし、やるべきだ。退屈にも思えるきつい動作を何百回も何千回も繰り返す。しかしそれはある一定のレベルを超えた段階の話だ。初心者や中級者は必ず信頼できる指導者の指導を受けるほうがいい。ひとりで稽古しているとどうしても独りよがりになりやすい。

ここまで肉体の訓練のことを言っていたが、これは頭の訓練も同じだ。

ちゃんとした先生につかずにひとりで本を読んで理解した気になっているのはいかにも危うい(もちろんダメな先生に習って理解した気になっているのはもっと危ういかもしれないので先生次第とも言えるが)。

ディベートが優れているのは、必ず対戦相手やジャッジという他者とのやり取りの中で学ぶことだ(もちろんディベートも他の領域と同じで、ダメな指導者に習ってできた気になってしまうのは危険だが、その場合ですら試合競技という形式の中で自分を知ることになるというリスクヘッジがある)。

グルジェフがサンガ(学ぶコミュニティ)の大切さに触れていた。コミュニティには学習を支えるシステムが必要だ。ただただ集まって勉強したり読書したりするのは娯楽としては構わないが、真剣な学習には相応しくない。

話がだいぶ逸れたが、今の自分には信頼できるトレーナーやセラピストが複数おり、知的研鑽のためにも優れた教師や指導者が複数おり、学習のコミュニティが複数あることが命綱になっている。

会社を経営する人たちも、それぞれ自分のメンターや指導者を持っていると思うが、あまりひとりの賢者に依存しないように、エグゼクティブコーチングを受けたり、学習するコミュニティに参加したりすることが大切だと思う。