ピーター・ドラッカーは若い頃に学校に飽きてしまい、早々に学業などに見切りをつけて実業の世界に入ったという。当時、第一次世界大戦で上の世代の男たちが激減していたせいもあって、若いうちに高いポジションについたりしたらしい。

そして、ある時、70代の創業社長に厳しいダメ出しを食らう。「お前は本当に駄目だ。自分が何をやっているのかわかっているのか。自分の仕事で成果を上げるとはどういうことなのか考えろ」と言われた。

若いピーターは当然これに反発を覚えたが、言われてみるとその通りで、自分はただ自分にできる仕事をしているだけで、何をしたら自分の役目を果たせるのかを考えていなかったことに気づく。そしてこの教訓を生涯忘れず、それからは「成果を上げる(結果を出す)」ということがどういうことなのかを必ず考えるようになったという。

組織や社会で成果を上げている人たちは、たいてい若い頃にこの手のフィードバックを受け、その手厳しい駄目出しから学び、成果を上げる習慣を身につけているという。

自分がこの話を聞いたのは20年以上前だが、とても印象に残っている。最近この古い本(「プロフェッショナルの条件」)の埃をたたいて読書会をやっている。毎月1回のペースで、1時間ほどかけて皆で輪読している。

今更ながら、読書会の力は本当に馬鹿にならない。自分ひとりでじっくり読んだつもりでも、うっかり読み飛ばしてしまうことが多い。「知っている」「わかっている」と思っているので無意識に読み飛ばしてしまう。皆で読むといちいち立ち止まりながら読んだことを咀嚼し、自分の体験を思い起こし、皆の知識や洞察から学び、読んだことが血や肉になる時間を得られる。そしてただの「読書」に終わらず、その後もずっと体験を思い起こしては分析したり瞑想したりすることになる。

自分が若いピーターと同じくらいの年齢の頃には何をしていたのだろうか。

会社で下働きをしていた。上司や先輩に口答えすると「口じゃなく手を動かせ」などと言われていた。当時は納得いかなかったが、「手を動かせ」は昔からある教えで、それほど悪くなかった。

優れた先輩や上司がいた。何をしているのかわからない先輩や上司もいた。至る所にお手本や反面教師がいた。そのことをジャーナルに書き込んだりしていた時期もあった。

人事異動や転職などで職場を変わることもたびたびあった。それが大いなる学びのチャンスにもなった。23歳で日本橋、24歳で香港、25歳でニューヨーク、26歳でバージニア、28歳で横浜、30歳で虎ノ門、32歳で天王洲、33歳でアークヒルズ、35歳で赤坂見附、そして37歳で独立して会社を作った。今は独立して20年目になる。

異動や転職で新しい職場に行くと、そのたびに新しく学び直すことになる。言葉が通じなかったり、習慣が違っていたり、価値観が違ったりする。いちいち異文化体験のようなものだ。

それが面白い時もあれば、ストレスの時もある。

仕事でいろいろな現場を行ったり来たりすることが多くなると、着任してからなるべく早く人間関係を構築し、なるべく早くわかりやすい成果を上げ、なるべく早く自分の存在を認知してもらって仕事をやりやすくする術を身につけた。

もちろん、うまく行く時と行かない時がある。

うまく行かない時はどうしたらいいのか。

一番やってはいけないのは「自分のせい」にすることだ。

自分のせいにすることは、一見潔いように思えるかもしれない。しかしほとんどの場合は単なる自意識過剰にすぎない。自意識が肥大化しているために「自分のせいでうまく行かない」という誤った結論に飛びついてしまうのである。

創造プロセスに「自分」を入れてはいけない。「自分」は関係ない。関係あるのは「出したい成果」と「今の現実」の二つだけ。それ以外の夾雑物を入れたら創造プロセスは歪み、うまく行くことすらうまく行かなくなる。

「我を忘れる」という言葉があるが、創造に打ち込んでいるときは我を忘れていることがとても大切だ。

これは理屈としては簡単だ。そして経験としても明快だ。必要なのは、「出したい成果」と「今の現実」の二つだけを見て、自分が何をやっているのか、なぜそれをやっているのか、やっていることによって何が起こっているのかを自覚することだ。