先日、日本橋の食堂でランチしたとき、「そういえば不食をやってましたよね?」と聞かれて、久しぶりに不食の話をした。
2015年から2016年くらいの間、1年くらい不食を実践していた。断食ではなく、不食である。断食には修行や健康や美容などの目的があるが、不食には決まった目的がない。ただ単に食べるのをやめる。朝が来たから朝ご飯、昼が来たから昼ご飯、夜が来たから・・という自動的に食べる習慣をやめる。そしていつ食べてもいい。食べなくてもいい。それが不食である。
今はほぼ通常の食習慣に戻っているが、不食家生活の名残りはまだあって、1食や2食を抜いても平気だし、先月は6食くらい連続で抜いていた時期もあった。つまり今の自分にとって不食は標準ではなく、スキルの一種になっている。
ところで、不食にはたくさんのメリットがある。
まず、便利である。食べてもいいし、食べなくてもいい。食事を抜いた後でご馳走を食べても平気。よく断食やファスティングをする人たちがやるような、断食明けの粥とか、サプリメントとか、そういう気遣いが全く要らない。
次に、不食は精神面に好影響を与える。食べなくてもいい。これによって小欲知足(多くを欲せず、足るを知ること)を実感する。食べるときにありがたさが増す。食べないときもありがたさが増す。執着が減る。「ああ、ラーメン食いたい」「焼肉食いたい」「鰻が欲しい」「天ぷら食べたい」などの渇望がすっかりなくなり、そのくせ美味しいものが目の前に出てきたら当たり前のように美味しくいただくことができる。
不食していると頭はいつも冴えている。胃腸への負担を減らすことの効果なのだろうか。食事をするとどうしても血流を奪われて頭の働きは鈍くなりがちだ。リラックスしたら眠くなる。もちろん眠くなったら眠ったらいいのだが、食べないことで読書や瞑想や仕事がはかどることは間違いない。
そして不食は、生活をシンプルにする。手の込んだ料理は、人間の文明の成果としては素晴らしいものだが、生きていくためにはほとんど必要のないものだ。娯楽であり、贅沢であり、不用物だ。要らないものに手間暇かけてお金をかけて楽しむのは素晴らしい道楽だ。しかし生活の中にその贅沢を自動的に組み込まなくていい。そうすると食費が浮くのはもちろんのこと、自由時間も増える。
メリットばかり挙げたが、もちろんデメリットもある。
まず、痩せること。7キロくらい痩せて、少し痩せすぎたかな、ということで通常に戻した。
それと、不食家という評判が立つと会食に誘われなくなる。「食べないんですよね?」と聞かれると、「いやいや、音楽家が年がら年中ぶっ通しで音楽やってないように、不食家だって24/7で食べてないわけじゃありませんよ」と答えていたが、「食べない人」というイメージがつきまとう。
また、頭は冴えているのだが、ときどき立ちくらみすることがあって、必ずしも健康にいいことばかりとは言えないだろう、とも思った。2018年6月にサッカーを始めてからは食欲旺盛になってしまい、不食から遠ざかっている。
自分が死ぬときは不食をして植物が枯れるように死んでいくのもいいかな、と思っている(ずっと先のことだと思っているが)。