自分にとって瞑想はもはや非日常的な修行ではなく、日常的な実践となっている。特別な場所でときどきやるものではなく、毎日の生活や仕事の中で意識的に実行するものだ。
初めて瞑想を習ったのは42年前。教えてくれたのは今は亡き長谷部先生。よくわからないが、呼吸が大切らしいということがわかった。今は亡き沖正弘先生の三島の道場の門を叩いたのは38年前。毎日ヨガを習い、毎日座禅を組んだ。ディーパック・チョプラに瞑想を習ったのは29年前。瞑想だけでなく生きること全般に通じる霊的教えやアーユールヴェーダの様々な技法を教わって実践した。
目白の津田優先生の手ほどきでアルタード瞑想を教わったのは10年ちょっと前。それがきっかけで毎月「頭脳が活性化する呼吸法と瞑想」のクラスをやることになって、以来コロナ期間も通じて毎月欠かさず瞑想クラスを開いている。月に数回開いていたこともある。2時間のクラスを120回以上開いている。スマナサーラ長老からヴィパッサナー冥想を指導されたのは13年前。目をかっと見開いて座っていたら、いきなり「目は閉じて!」と一喝された。唾が飛んできそうな距離だった。五反田のヨガの先生成瀬さんから倍音声明を教わったのは9年前。倍音声明も今では欠かせない。
藤田一照さんに坐禅を習ったのはずっと最近のことで、ほんの数年前だ。実はヴィパッサナー冥想をずっとやっている頃は坐禅よりもヴィパッサナーのほうが優れているくらいに勘違いしていたので、一照さんにあらためて坐禅を習うことができて本当に良かった。
そして近年の極めつきは音楽療法(RMT)。3年ほど前、日本でずっとRMTを教えている森平直子さんのレッスンに通うこと数十回、クラシック音楽を聴きながら自分の心・体・環境に気づいていくトレーニングは、瞑想そのものではないものの、自分の気づく力を飛躍的に高めてくれた。
他にもスチュワート・ワイルドが生きている頃にいろいろな瞑想を習ったのと、バラ十字でも古代エジプトから伝わる様々な瞑想法を教わって実践している。もちろんアーノルド・ミンデル博士に教わるプロセスワークの瞑想は特別だし、瞑想嫌いのロバート・フリッツもclosed-eye exerciseと称して緊張構造の瞑想を教えてくれている。瞑想を教えてくれる素晴らしい先生たちはたくさんいて、流派も作法も様々だ。
しかし瞑想の知識ばかりがたくさんあってもそれだけでは全く意味がない。日常的に実践して、自分の頭と体と心と魂で経験して積み重ねなければならない。
瞑想は趣味の領域を超え、修行の領域を超え、今ではもはや自分の日常の一部である。体が生きるために呼吸が欠かせないように、心と魂が生き生きと生きるためには瞑想が欠かせない。