自由な人が他者を尊重するというのは、理論的な可能性ではない。現実に自由な人こそ他者を尊重している。これは事実だ。

家族、友人、仕事仲間、取引相手、コミュニティ、街で行き交う見知らぬ人・・・他の人たちを大切にし、決して他人の自由を侵さないことで、胸を張って自分の自由を謳歌することが可能になる。

自分の自由を放棄し、他者の犠牲となって生きる人生が惨めなものである一方、他者の自由を踏み躙ることは自分自身の自由を失うことに直結する。

もし皆さんのまわりに自由を謳歌している人たちがいたら、よく観察してみよう。真に自由な人は、決して他人を蔑ろにしたりしないことに気づくはずである。

自由は地位や財産や名声よりもずっと基本的で、ずっと貴重なものだ。そして自分自身の規律と行動によって獲得し、維持することが可能なものでもある。特別な才能やスキルは必要ない。高い地位も莫大な富も必要ない。その代わり、誠実さや真摯さ、首尾一貫した価値観や倫理観が必要になる。それは「自分のために生きる」ということである。自分の人生を大切にすることは、その当然の帰結として自分の人生に登場する他者を大切にすることを含む。

これは自然と無自覚にできることではない。意図して意識して規律をもって実践しなくてはならない。しかし誰にでも実行可能なことでもある。

アイン・ランドの提唱する倫理的利己主義においては、道徳的であることと実用的であることは矛盾しない。矛盾しないどころか、道徳的であることはすなわち実用的なのだ。その道徳とは、自分の生命・財産・幸福を大切に守り、自分が大切にする価値を実現して生きることである。そして同じ自由を全ての他者に認めて尊重することだ。