オリジナル思考は、常に無からスタートすることで始まる。何かを観察するときに「もう知っている」「自分はわかっている」という思い込みを棚に上げて、「まだ知らない」「自分はわかっていない」というスタート地点につくことだ。

これは画家が花を見るときの態度であることを文芸評論家の小林秀雄が1957年に語っている。引用するのは「美を求める心」と題して、54歳の小林秀雄が小中学生に語った言葉である。

「諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです」(美を求める心)

無からスタートし、対象そのものを見るとき、私たちは目の前にある現実を初めて見ることになる。

「言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです」(同)

ロバート・フリッツは、画家が花を見るときのように先入観を廃し、無からスタートする思考をオリジナル思考と呼び、現実を把握する際の最初のステップとして「無からスタートする」という規律を挙げている。

(新著「クリエイティブディシジョンメイキング」第4章より抜粋)