なぜ理性的なはずの人がわざわざ自滅的な行動をとってしまうのか。

例えば飲酒運転。

ほんの一杯ひっかけて、ほんの30分クルマに乗るだけ。大した危険ではない。事故を起こす確率はとても低い。案の定、無事帰宅。

それで味をしめて、また今度も飲酒運転。また大丈夫だった。

これを繰り返す。

繰り返せばリスクはどんどん高まる。

そして致命的な事故を起こせば一巻の終わり。

あるいは嘘つき。

ほんのちょっと嘘をつくだけ。それで見栄を張ったり恥を隠したりする。大した罪ではない。案の定、嘘はバレなかったし、友情も壊さなかったし、信用も失わなかった。

それで味をしめて、またぞろ嘘をつく。つまらない嘘をつく。嘘をついても別に気にしなくなる。

これを繰り返す。

そのうち嘘つきだということがバレて、友人は離れ、信頼は壊れ、人間関係は崩壊する。

あるいは会社の不祥事。

悪いことだとわかっている。でも周りの同僚たちもやっている。だいたい前任者から引き継がれたもので、次の後任に引き継ぐまで自分が隠し通せばいい。自分がわざわざ世間に暴露して大変な思いをすることはない。毎日、毎日、悪いことだとわかっているが、見ざる聞かざる言わざるを決め込む。

そして運がよければ自分個人は逃げ切るかもしれないが、どこかで破綻するのは確実。

これは、統計的世界観の引き起こす悲劇でもある。アンサンブル確率と時間確率の混同。つまり、「今この一回だけなら大したことないだろう」とたかをくくる間違いだ。「今この一回」が大丈夫だとしても、それが長い時間を経過して蓄積されていったら破綻を免れない。

統計的世界観の間違いを悟り、目を覚まして現実を見る必要がある。