6年前、ロバート・フリッツのCreating Your Lifeというオンラインコースに参加していたときのことです。参加者の一人だったアメリカ人のイラストレーターが、

「自分の創作するものはポスターなどで消費されて消えていく。もっと後に残る絵画作品を描きたい」

とロバート・フリッツに言いました。

私はそれを聞いて、たしかに、それはよくわかる、と思いました。

そして瞬時に、かつて自分が情報システム構築の仕事に携わっていたとき、新しいシステムが完成すると、すぐにそのシステムを置き換えるための次世代のシステムの企画を依頼され、「こんなに苦労して作り上げたシステムもはかない命だな」と空しい気持ちになったことを思い出しました。

ところがこのイラストレーターに対してロバートは即座にこう言ったのです。

「作品が短い間しか存在しないからといって価値が少ないわけじゃないよ。素晴らしい料理は、作られてから胃袋に消えていくまでわずかな時間しか存在していない。だからといって素晴らしい料理の価値が下がるわけじゃないだろう」

この答えには唸らされてしまいました。

イラストレーターの男性はあまり納得していませんでしたが、私にはロバートの答えが今も脳裏に焼きついています。

作品の価値は、それが長く存在することによって決まるのではない。

アーティストだったら誰でも「不朽の名作」を残したいという衝動を感じることがあるでしょう。

そして歴史上ごく少数のアーティストは殿堂入りしてその願望を現実のものにし、残りのほとんどのクリエイターの作品は忘れ去られていくことになります。

それはあくまでも結果に過ぎない。

私がいま心血を注いでいる仕事も、その大半はあっという間に何の痕跡もなく消えていくことでしょう。

それでいい。それがいい。はかないからこそ輝く価値だってある。

サッカー選手のスーパープレイだって、その大半は記憶の彼方に消えていきます。だからといってそのプレイの価値が消えていくわけではないのです。