なぜだかわかりませんが、私に愚痴を言う人はあまり多くありません。それでもときどきあります。相談を持ちかけられることはたびたびあります。それが愚痴であっても相談であっても私はたいてい親身になって聴きます。

そして愚痴を聞いて疲れるということはありません。それがただの愚痴であったとしても、私にとっては異次元の驚愕です。実に稀有な楽しみと言ってもいいほどです。

私には話し相手の問題を解決してやろうという気がありません。ただ感心したり驚いたりしながら耳を傾けるだけです。話が終わると「聴いてくれてありがとう」「聴いてもらえて頭がスッキリしました」「話すことで心が落ち着きました」などと感謝されます。ときには「話を聞いてもらえただけで問題が整理されて解決の糸口が見つかりました」などと言われることも珍しくありません。私はただただ熱心に聴いていただけです。

愚痴を聴いていると聞いているこっちが苦しくなる、という人がいます。それはわかります。私にもかつてはそういうことがありました。今はほとんどありません。なぜなのでしょうか。

愚痴を聞いていて辛くなるのには、いくつか理由があります。

ひとつには、愚痴や相談を聞いたら自分にも責任が生じ、相手の問題に関わってやらなければならない、という思い込みです。

この思い込みには一理あります。ただ聴いて、「大変だね」では終われない、何か力になってやらないといけない、せめて気の利いた助言くらいしてやらなければならない。そういう思い込みです。

しかし人は皆、誰ひとり例外なく、自分の問題に自分で責任を持つしかないのです。他人にできることは本人が責任を全うするための手助けでしかありません。ほんのわずかな手助けにすぎない。

これは自分がひとを援助する専門職、セラピストやカウンセラー、コーチやコンサルタントであっても同じです。相手が家族や友人であっても同じです。

親身になって話を聞くことは相手の責任を肩代わりすることではないのです。相手を大人として尊重し、自分の問題を自分で考え、自分で取り組む力を持った存在として信頼すればこそ、全ての責任を相手に預けたままで気楽に愚痴や相談に耳を傾けることができます。

愚痴や相談を聞いても辛くならないためのポイントのもうひとつは、自分の心の状態です。

ひとの悩みや苦しみを聞くと自分自身の悩みや苦しみをそこに投影してしまうことが起こります。これは悪い意味での感情移入なのです。そうなるともはや相手の力になるどころの騒ぎではありません。その時点で助けが必要なのは相手ではなく、自分自身ということになってしまいます。

自己管理は職業コーチ・コンサルタントの当然の心得です。自分にどんな悩みや課題があったとしても、それは「課題」という引き出しにしまっておいて、必要なとき以外は外に出さないようにします。断じて相談相手の境遇に投影したりすることがないように引き出しに鍵をかけておきます。

家族や友人などの親しい間柄ではうっかり引き出しを開けてしまうこともあります。相手によっては自分の愚痴を返してやるのも悪くありません。その場合でも「あ、これは相手の問題じゃなくて自分自身の問題だな」と気づけるように日頃から気をつけておきます。

他人の愚痴に悩まされないためのポイントの三つめは聴き方、傾聴の技術です。

できるだけ正確に、ビジュアルに聴くのです。相談相手が話していることを論理的に聞くのです。情緒に流されないようにして、構造的に理解するのです。これには訓練が必要です。「絵で考える」スキルを私はロバート・フリッツに教わり、企業におけるマネジメントトレーニング、STARクラブという研究会、ディベート道場、オブジェクティブコーチングマスタークラスなどで幅広く紹介し、稽古しています。

思い込みに気づき、心を管理し、スキルフルに傾聴する。これは決して容易くはありませんが、訓練と心がけ次第で誰にでも実行可能です。

そしてこれができると日常のさりげない会話すらもが驚愕に満ちた世界へと変貌します。愚痴や相談を聴くことが、苦痛どころか喜びの時間に変わるのです。