「日本は核武装すべきである」というトピックでディベートしていると聞くと、知らない人は「右翼の決起集会か?」と勘違いするかもしれません。

もちろんそうではありません。それは何重にも間違っています。

まず、競技ディベートは必ず肯定側と否定側とで争います。一方が核武装すべきだと論じれば、もう一方が核武装すべきではないと論じます。双方が同じ時間を使って議論します。そして中立的な立場で第三者のジャッジが判定を下します。

次に、ディベーターは試合において自分の個人的見解を述べる時間がありません。日本の安全保障や世界の平和について、誰でも何らかの意見を持っていると思います。しかしディベートの試合において個人的見解は関係ありません。全てのディベーターが肯定と否定の両方に準備し、両方の論を張り、勝ったり負けたりします。

そして、競技ディベートはあくまでもアカデミックな演習です。ディベートすることで世界について考え、世界について調べ、世界について発言し、世界について議論し、そのプロセスを通じて世界についての理解を深めるのです。したがって「日本は核武装すべきである」というディベートをさんざんやった後では、世界の見方が変わります。

結論ありきの集会と違って、自分たちが今まで信じていたことを考え直し、世間の常識や専門家の見解も疑い、「本当はどうなのか」を考え抜く力を手に入れて終わります。終わったらノーサイド、誰が勝っても誰が負けても恨みっこ無しです。

「日本は核武装すべきか」などという大層な論題について、世間のほとんどの人たちは考えることがありません。興味を持つ人たちであっても、核武装に反対したり賛同したりする自分自身の視点からだけしか考えることがありません。自分の個人的見解に関係なく、あらゆる視座から大きなテーマについて考えるのは、競技ディベートならではの体験です。

大きなテーマについて相反するアングルから考え、調べ、対話し、議論し、決定する訓練を積むことは、日常の仕事や生活における意思決定能力を鍛えることになります。

これが、意思決定力を高めたい人に競技ディベートをお薦めする理由です。