今から25年前、初めて転職した先の職場で、仕事が思うようにうまくいかず、思い悩む日々が続いていた。

夏休みの頃だったか、秋口だったか、久しぶりに会った実家の母が、すっかり憔悴した私の様子を見てこう言ったのを思い出す。

「本当に大変だったら辞めたっていいんだから」

このさりげない言葉に思わずはっとした。

辞めたっていい。あまりにも当たり前のひと言だ。

ところが当時の自分には全く思いもよらない考えだった。

まだ転職して数ヶ月しか経っていない。何も成し遂げていない。転職した目的を果たしていない。仕事は仕掛かり中で、やり遂げるまでまだまだ時間がかかる。

こんな状況で仕事を放っぽり出して「辞める」なんて論外だ。

もし辞めることになるとしても、石の上にも三年、困難と向き合って克服して学んで成長して、義理を尽くした上で辞めるべきだ。

いま思えば数々の無意識の観念に縛られていて、職業を自由に選択していいのだという常識を忘れていた。

そして目を覚まして現実を客観的に見れば、もし自分が急に辞めることになっても、その直後は多少混乱したとしても、誰か別の人がその仕事を引き継ぎ、やがてはどうにかなるし、途中で責任を放り出した自分はまた新しい仕事を見つけてなんとかやっていくにちがいないことが見てとれる。

観念に囚われているとき、見えていないのは目の前の現実だ。

人は誰でも無意識の観念に囚われている。

何も考えずに何かを真実だと思い込み、現実を見ずに暮らしている。

ときどき目を覚まして現実を客観的に直視する必要がある。

身近な誰かの言葉は目を覚ますきっかけになることがある。

思い込みに気づいたら新鮮な目で目の前の現実を見つめ直すのがいい。

25年前、母の言葉を聞いた後、私は会社を辞めることを具体的に考え、半年後に辞表を出した。

そして2回目、3回目の転職のおかげで今のキャリアにたどり着いたのである。このときのどん底の体験が、その後の人生を実に豊かなものに変えてくれた。

母は6年前、2016年に他界したが、1997年のこのときの言葉は忘れたことがない。