人生100年時代を創造的に転換する、そのために必要な軸が二つあります。
ひとつはサバイバル、もうひとつは創り出すことです。
サバイバル、つまり生き抜くことができなければ始まりません。
いろんな夢や希望を抱いていても、体の自由が効かず、心の自由が効かず、財布の自由が効かず、人間関係の自由が効かない状態だったら、それはパイプドリーム、絵に描いた餅に終わります。
まずはリスクを認識し、自分たちが滅びないための戦略を実行することです。
しかしサバイバルはお話の半分でしかありません。
サバイバルに成功したあと、人生をどう生きるのでしょうか。
それが創造的な転換です。
自分は一体この人生で何を創り出したいのか。
この問いを、大上段に構えて投げかけるのは間違いです。
この人生の使命は何なのか、自分は何のために生まれてきたのか、自分が死んだ後に何を残したいのか、などと形而上学的・哲学的に思い悩むのは大抵が時間の無駄で、ほとんど生産的な結果につながりません。
もっと気軽に、簡単に、無責任に考えたほうがいいのです。
自分の人生を生きることは、誰かに委託された仕事ではありません。依頼主(神様、両親、ご先祖様、世間様、未来の人類、地球、国家?)のご意向を忖度して、「せっかくいただいた命を、何か素晴らしい目的のために生かさなくてはならない」などと眉間に皺を寄せる必要は全くないのです。
自分の人生は自分のものです。捨てようが生かそうが構いません。どう使うかは自分で決めたらいいのです。
ゼロからスタートすることです。
せっかくサバイバルに成功しているのですから、どのように手にした時間を創造的に使うのか。
ここが面白いところです。
しかしここで多くの人たちが躓くのです。
だって今までずっとサバイバルモードで思考し行動してきた人が、これからクリエイティブモードで思考して行動しようったって難しい相談なのです。
サバイバルモードの思考・行動の特徴のひとつは、パイの奪い合いです。
資源が限られているので、なくならないうちに自分の分を確保しなければ生き残れません。
人類の祖先の哺乳類が、お母さんのおっぱいを飲むために兄弟を押し退けてでも飲まないと生き延びられない、と刷り込まれていったようなものです。
パイの奪い合いの中でのサバイバルというのは21世紀になった今でも世界の現実の一側面ではあります。会社で社長になろうと思った人たちがライバルを蹴落として社長の椅子を自分の物にしようとしたり、大口顧客の注文を取ろうと思った人たちが競合他社を蹴落として契約を取ろうとしたり、好きな男の子と付き合うために彼が他の子のことを見ないようにさせたり、今だって奪い合いは世の常です。
しかし21世紀の現代社会のもうひとつの特徴は、途方もなく豊かな可能性の世界です。国や社会の一定の制約の中で、ほとんど無限に創り出すチャンスが与えられています。自分がどんなに創り出しても、それは他人から何も奪わないのです。誰かがどれほど創り出しても、それは自分から何も奪いません。むしろ多くの人たちがたくさんの物を創り出すことによって、世界はどんどん豊かになり、もっと多くの物を創り出すことが可能になるのです。
ここで発想の転換が必要です。
サバイバルすらもクリエイティブモードで考えたらいいのです。
自分が生き延びるために、誰かから奪う必要など一切ありません。
自分がたくさん稼いだからといって、それは隣人から奪った富ではありません。自分が創り出した富なのです。
自分が富を創り出せば、それをどう使うかは自分の自由です。創り出した富を隣人と分かち合うことだってできます。創り出した富をさらなる創造のための資源にすることだってできます。
今までサバイバルと創造は異なるものだと考えられてきました。実際「パイの奪い合い」的なサバイバルと創造は全く違うものです。
世界には奪い合いもあれば、助け合いもあれば、分かち合いもあれば、力を合わせて創り出す場もあります。
私たちは世界の現実を丸ごと変えることができません。しかし私たちは、世界の現実をありのままに観察し、自分たちのサバイバルを図り、創り出したい未来を創り出していく自由を持っています。
人生100年時代を創造的に転換するには、現実世界を客観的に観察した上で、まず自分の思考・行動を見直して戦略を練ることからスタートする必要があります。