グレタ少女の怒りが世界を変えた・・・

そういうストーリーが世間に流布している。

怒りが世界を変えるのだ、怒りがなければ世界は変わらない・・・

そういう観念が昔から蔓延している。

これは途方もない間違いだ。

グレタの怒り(How dare you!)が本当に世界を変えたのか、考えてみてほしい。

全世界的な話題をかっさらったのは間違いない。

ドナルド・トランプ大統領もウラジミール・プーチン大統領もグレタについてコメントした。

話題を作ることが世界を変えることだと言うのなら、たしかにグレタは世界を変えただろう。

しかし、ただそれだけのことだ。

地球温暖化を憂慮していた人たちは、グレタの前も憂慮していたし、グレタの後も憂慮している。

地球温暖化を憂慮していなかった人たちは、グレタの前も後も憂慮していないし、行動もしていない。むしろトランプ大統領やプーチン大統領のように批判したり反発したりしておありだ。

世界は何ひとつ変わっていない。

仮に一部の人たちが怒りに触発されて行動し、変化を生み出したとしても、その行動や変化によって怒りは沈静化し、行動や変化のモチベーションは消えていく。

だったら地球温暖化が止まるまで怒り続けるのか。

温暖化で世界が滅ぶ前に怒りで人間が滅ぶだろう。

怒りが世界を変えるなどという観念の間違いに早く気づいてほしい。

たしかに怒りは人を動かすことがある。しかし構造が変わらなければまた元通りになるだけだ。

世界を変えるのは怒りではない。世界を創り出したいと思う衝動だ。

先日、勝間さんという女性が、ポジティブな目標ではモチベーションとして弱い、ネガティブな痛みでないと強いモチベーションとならない、と強弁していた。

これは、あるレベルでは、正しい。

北風と太陽では、北風のほうが短期効果がある。太陽では生ぬるい。

しかし構造力学の見地から言うと、北風も太陽も、飴も鞭も、その効果が一時的である点においては大同小異なのだ。

ネガティブな痛み、つまり、これをやらないと大変なことになる、という危機感は、たしかに人を動かす。

しかし行動して痛みが消えればモチベーションも消える。

ポジティブな餌も人を動かす。しかし同じことだ。行動して餌が手に入ればモチベーションは消える。

緊張構造は別物だ。本当に自分が実現したいことは何か。それに対して今の最新の現実はどうなっているか。

飴と鞭でモチベーションを高めようとしても決して長続きしない。

怒りで世界は変わらない。欲でも世界は変わらない。

志と価値。今の現実。その二つが生み出す緊張構造。緊張構造が促す戦略行動。

怒りではなく、無知でもなく、強欲でもなく、報酬でもなく、緊張構造が世界を創り出すのである。