コーチがクライアントの話を聞いていると、自然とクライアントに共感が湧いてくる。

これは特別な技術でもスキルでもなんでもなく、ちゃんと話を聞いていたらほとんど自動的に発生する現象だ。

それ自体は人間的な反応で、悪いものではない。

もちろん、広い世界には共感能力の欠如した人たちも存在するが、そんな人たちでも映画やドラマを見たら感情移入して泣いたりするらしい。だから話を聞いていて共感が湧くのは自然な感情だ。

ところが、ここで困ったことがある。

自然に生じる情緒的な共感を放っておくと、クライアントの現実が見えなくなることがあるのである。

わかりやすいのは、クライアントの語る現状に複数の人物が登場するときだ。

例えばクライアントがある人物に腹を立てている、がっかりしている、不思議に思っている、訳がわからないと思っている、など。

コーチがクライアントの気持ちに反応して情緒的に共感していると、一緒に腹を立てたり、がっかりしたり、困惑したりしてしまう。

一方で、その別の人物が何を考えているか、何を感じているか、なぜ特定の振る舞いをしているのかはわからない。

それではコーチングにならない。

コーチの仕事はクライアントに共感してクライアントの気持ちを理解することではない。

コーチの仕事はクライアントが自分自身の現実を理解して自分の価値や目標を実現する力を高められるようにすることだ。

共感が、情緒的共感が強すぎると、コーチングの邪魔になることがある。

もう一度言うと、共感が悪いわけではない。共感に流されて自分の仕事を忘れてしまうコーチが悪い。スキルが足りないのだ。

コーチはクライアントの話を聞いてクライアント本人の視点から現実がどう見えているかを理解するだけではなく、クライアントの住む現実の全体像を見なくてはならない。

そのためには一歩退いて、クライアントの話の全体像を観察する必要がある。

多くのセラピーやカウンセリングではクライアントに寄り添うのが大事で、ほとんどそればかりやっている。傾聴して共感して終わっていることすら多い。

コーチングにおいては、クライアントに寄り添うばかりでは足りない。全く足りない。それではクライアントに何ら意味のある変化をもたらさないばかりか、悪い効果を与えることすらある。

このことは「コーチング業界」「コーチング教育コミュニティ」においてもほとんど共有されていない事実だ。

先日ある対話会で「コーチングとは何か」と聞かれて「クライアントの現実を見ること、そして必要なら変える力を助けること」というような趣旨のことを話した。

しかしコーチングとはクライアントに寄り添い、クライアントの話に耳を傾けて共感することだと思い込んでいる人たちも多い。

何のためにコーチングをするのか。何のためにコーチングを受けるのか。

出発点まで遡れば、傾聴と共感だけでコーチングが成り立つ訳がないことがわかる。それどころか過剰な情緒的共感がコーチングの目的を阻害するリスクがあることもわかるだろう。

プロのコーチングの実施においては現実を客観視するための方法が絶対に必要だ。システム思考が役に立つこともあるし、他にも色々な方法がある。

構造コンサルティング認定プログラム(SCCP)で学んでいるピクチャリング、構造コンサルティングの方法は、人間の現実を構造のレベルで理解していくためには類を見ない効果的なアプローチだ。

2002年に構造思考の基礎を教わっていなかったら、自分のコーチングも傾聴と共感だらけのプロセスに陥っていたかもしれない。

コーチングにおいて共感が大切だと言われることは多くても、情緒的で過剰な共感がコーチングの目的を阻害することを理解している人は少ない。

コーチングを受ける人も、提供する人も、何のためにコーチングをしているのか、目的のために何が必要で何が邪魔になるのか、よく考えたほうがいいだろう。