知らない人が坐禅合宿と聞くと「えぇ〜、ビシッと棒で叩かれたりするの??」と坐禅のステレオタイプである古典的なイメージを思い浮かべるようです。

藤田一照さんの導きによる坐禅はとても優しく、坐ることを愉しむプロセスまでが坐禅に含まれています。いや、それよりもっと特徴的なのは、坐る前に身体をほぐしてたっぷりリラックスしてから初めて坐ることかもしれません。

坐禅を説明するのに、一照さんは最近次の3つの要素・ステップを強調しているそうです。

1. 手放す
2. 受け取る
3. 愉しむ

そして昔から言うところの調身・調息・調心、つまり姿勢・呼吸・心が調うことと掛け合わせて9つの枠を作り、割り稽古をするのだそうです。

割り稽古というのは、もちろん修行の方便として坐禅のトレーニングをわかりやすく分割することであって、坐禅そのものはそういう詳細を一切忘れてひたすら打ち込むものです。

これ自体、私にとっても他の多くの人たちにとっても非常に斬新で画期的なエクササイズであったことは間違いありません。

しかし毎回のことながら、一照さんの教えに感化され、触発されて、私自身の専門であるcreative decision makingやexecutive coachingやorganizational consultingやadult educationやleadership developmentの領域に通じる洞察がありました。

部分と全体。時空間に拡がる悟り。

美しい自然に囲まれて坐禅や冥想に勤しみ、その瞬間に「悟った!」「解脱したかも!」と勘違いすることはよくあることです。それは勘違いであっても虚偽や詐欺だというわけではありません。そう、涅槃に一時的なツアーをしたようなものです。一時的なのですぐに彼岸から此岸に帰ってくるのですが、束の間の悟りの体験から心身は何かを捨て、何かを得て帰還します。

今年の旅も実に有意義でした。帰りのバスでエコノミークラス症候群を呪いながらも実は得たものを迎え入れ、失ったものを手放し、旅全体を安楽に楽しみながら帰途に着いたのでした。

坐禅合宿が来年もまた開催されるとしたらぜひ再び参加したいと思っています。