「実力も運のうち」という宣伝文句で売っている本がある。
言いたいことはよくわかる。
「実力も運のうち」というのは(たぶん出版社がつけた宣伝文句だと思うが)「運も実力のうち」の反対で、「あなたが自分の努力と才能で成し遂げたと思っている仕事も生活も地位も名誉も、あなたが運に恵まれていたから獲得できたことに過ぎない」という意味である。
これは極論だが、役に立つ。
先日有名なYouTuberが「お金を稼ぐことなんか簡単だ。お金を稼ぎもしないホームレスのために僕の払った税金を使ってほしくない。猫のほうがずっと価値がある」というようなことを言い放って大ブーイングが起こった。
「実力も運のうち」というのはこういう人に言ってやるべき言葉だろう。
そのYouTuberが簡単に大金を稼いでいるのはいろいろな運に恵まれたからだ。ホームレスのおじさんがお金を稼げないのにもいろいろな運、不運が関係している。「簡単なこと」すらやりもしないから生活に困っていると決めつけるのは軽はずみに過ぎる。
しかし「実力も運のうち」だからといって、人気YouTuberが「簡単に稼いだ」大金の一部を税金としてむしり取って「運に恵まれない」人たちに配るべきだというのは現代の所得の再配分社会における大前提だが、正しいことと言えるのだろうか。
そう、「実力も運のうち」というのははっきりと言葉にしてしまうと極論なのだが、実は私たちの社会制度が当然のこととして受け入れている前提のひとつなのだ。
前提から疑え。
今の自分は楽して大金を稼いでいるからその一部を税金として支払って見知らぬ人たちのために使われるのは当然だ、貧富の差を減らして社会秩序を維持するために使うのはいいことだ、さらに余ったお金は恵まれない人たちのために寄付してやるべきだ、と考えている、そこのあなた!
とんでもない、自分は楽もしてないし、こんなに働いてるのに大金を稼いでもいない、むしろ再配分によってもっと行政に助けてもらう必要がある、コロナで失った収入を補填してもらうのも当然だ、と考えている、そこのあなた!
あなたの前提は、本当に、正しいのだろうか。
考えてみてほしい。「実力も運のうち」というのが正しいのかどうか。もし正しいとしたらどういう社会やどういう生き方が望ましいのか。もし正しくないとしたらどういう生き方やどういう社会が望ましいのか。
自分の人生をどうしたいのか。自分たちの社会をどうしたいのか。
自分自身の啓発された自己利益を中心に考えてほしい。
そういうことを根本的に考える作業を怠り、自分勝手な思い込みで発言するから人気YouTuberもああいう騒ぎを起こすのだ。
哲学を嗤う者は哲学に泣く。物事を根本から考え直し、世間の前提を疑ってみよう。